三宝荒神(さんぽうこうじん)

島根県出雲市斐川町にある荒神谷史跡公園内にある三宝荒神は、スサノオ命、大地主命、タケミナカタ命の三柱の神様がお祀されています。


荒神谷遺跡は、1983年に道路工事に伴う遺跡調査の際、現在この蓮が植わっている田んぼから土器(須恵器)の欠片が見つかったことから調査が始まったそうです。

翌、1984年に358本の銅剣、1985年には銅矛と銅鐸が発見されています。

現在の荒神谷遺跡公園のある場所は、元々神庭(かんば)地区と呼ばれているところで、遺跡が見つかった場所の南側に三宝荒神がお祀りされていたことから、「荒神谷遺跡」と呼ばれるようになったそうです。(荒神谷博物館パンフレットより)


私が神社巡りをするようになってからほぼ毎年のように蓮を見に来ているのですが、三宝荒神へのお参りは今回が初めてでしたので、博物館の方に場所のことを確認して、お参りに行って来ました。

↑ 荒神広場の入り口(目印はこの銅鐸だけです)

史跡公園には、公園内にある博物館側の北駐車場と、復元住居等の管理棟がある南駐車場とあり、三宝荒神のある荒神広場へは、南駐車場からの参拝を進められました。

理由は、先ず荒神広場には車を駐車するスペースがありません。また、北側から遊歩道を通って歩いてくることも可能ですが、交通量の多い道路を横断するので、安全に参拝するには、一旦南駐車場の方へ行ってからの参拝が良いと教えて頂きました。

↑ 荒神広場の奥にある三宝荒神鳥居

荒神広場入り口写真の左手奥へと進んで行くと、三宝荒神の鳥居が見えます。

↑ 案内板

↑ 三宝荒神

中央の石にはスサノオ命の銘が刻まれているのが見えました、他は分かりませんでした。

案内板にあったように、ワラの大蛇が巻き付けてありました。


荒神谷へお越しの際は、是非こちらの三宝荒神さんもお参りされては如何でしょうか!


ーおまけー

最後にちょっとだけ、つぶやかせて下さい。

荒神谷で銅剣が見つかったとき私は小学生でした。

銅剣の発掘が終わり、1次調査かなにか終わった後だと思うのですが、当時の県立博物館だったかな・・・(色々あいまいですみません)。

当時、夏休みに友達数人と小学校の校庭で遊んでいると、クラスの担任先生も学校に来ていたんです。

「おーい、お前たち、凄いもの見に行かないか?」

そう言って、新卒で着任早々の夏休みに担任の若い男の先生は、初めて公開される銅剣を見に私たちをその県立博物館へと連れて行ってくれました。

お金など無かったろうに、自分と私を含め3人の生徒のチケットも全部自腹で。

担任は元々美術専攻だったと聞いていましたが、銅剣を見てもの凄くテンションが上がっていたのを覚えています。

私もそれまで時代劇で見た刀とは全く違う形の剣を見て、驚いたのを覚えていますが、人の多さと緑青で錆びてボロボロな同じような剣をいくつも見ても、テンションは徐々に下がって行きました。

そんな私たちを見て、先生が言いました。

「おお!これは何だろ!剣の根本を見てみろ、✖の印がついてるぞ!これなんだと思う?」

よく見ると、どれも剣の一番下に✖と、まるで手でわざと付けたような跡。

「失敗作じゃない?」

「滑り止め、きっと柄の滑り止めだって!」

「いや、おまじないじゃない?十字架みたいだし」

「ぜったい失敗だって、だから✖なの!」

子供の私たちの話を聞きながら、

「いつか分かるといいな!」

そういった先生に、みんな同時に、

「え~、答え無いのかよ~!!」

と、がっかりしたのを、今でも荒神谷博物館や、出雲歴史博物館で展示されている銅剣たちを見るたびに思い出します。

銅剣に刻まれた✖の印の意味は未だ答え出ない謎だそうです(^^)

皆様も是非古代からの謎に浸ってみませんか?


面白いことに興味を持たせてくれた先生に感謝。

つぶやきを最後まで読んで頂いた皆様に感謝します。

ありがとうございましたm(__)m

ではまた・・・。


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自分の足で巡った神社を神話や伝承を交えてお伝えします。 山陰の神社を中心に、奈良・京都などの神社も巡っています。 御朱印なども一部ですが写真をアップしています。 神社巡りの御供になれば幸いです。

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