↑ 本日の資料(PP資料抜粋)
冒頭に関先生は、松江市忌部町にあるお地蔵さんのお話で、島根にはまだまだ隠れた珍しい地域のお宝がありますと言うお話をされ、上の資料のお話に入られました。
講演会のテーマは「古代出雲の歩き方」です。
では、何故「出雲国造居館に参る」のかー。
先ず関先生は、出雲国造のルーツにまつわるお話から始められました。
出雲国造のルーツは、天穂日(あめのほひ)命と言われています。
天穂日命は、スサノオ命と天照大御神の誓約(うけい)の際に生まれた5男3女神の男神で、2番目に天照大御神の勾玉から生まれた神様です。
天穂日命は、国譲りの際に天照大御神の使者として出雲の地へやってきますが、逆に大国主命の元に居ついて、3年間何の報告もしなくなりました。
その後、次の使者が来て失敗。またその次の使者・タカミカヅチ命が来てようやく国譲りとなります。
国を天照大御神へ譲渡することになった大国主命は、常世(現世)は天照大御神が見るが幽世(冥界)は私が見る。と言って、高天原にあるよりも大きく高い社を建てさせました。
天穂日命は、その社で大国主命の御霊を鎮める為に子々孫々お世話をするようになり、それが出雲国造へとなっているからです。
この出雲国造が住んで居たと言われているのが、会場となった八雲立つ風土記の丘資料館近くの神魂神社周辺になります。
もっとも、風土記の丘資料館の周辺には、出雲国府跡や正倉跡などの史跡や古墳群もあり、正に古代出雲の中心地と言った場所でもあります。
関先生は、出雲国造の仕事や分家した理由などを話された後、天穂日命の降臨の地について話されました。
関先生は、天穂日命は安来市の吉佐町にある、「支布佐神社」がそうではないかと話されました。
↑ 2枚 支布佐神社
↑ 1枚 同じく安来市吉佐町にある天穂日命の陵墓と言われる岩屋
関先生は、この「支布佐神社」や「岩屋」だけでなく、古地図に載っている出雲国と伯耆国を分ける国境の岩まで探して、見付けられたそうです。
そして、出雲国造が時代と共に、松江市大庭町へと移り、神魂神社周辺の古地図を説明されました。
このふらっと神社でも神魂神社は以前紹介させて頂きましたが、丁度このページの一枚目の鳥居の写真があるのですが、鳥居の真反対に北島家・屋敷跡の特徴が現代にも残っていたり、神魂神社から千家家・屋敷跡の形跡が見て取れるポイントなどを話されました。
そして、現在の杵築・出雲大社の変遷を古地図などでお話されました。
もっともっと、ずーっと関先生のお話を聞いていたい。
そんな、1時間があっと言う間の楽しい時間でした(^^)
↑ 2枚 関先生も参加されている「風土記を訪ねる会」が出版された本を購入。
しっかりサインも頂きました(^^)
家に帰って早速読みました(^^)
「風土記を訪ねる会」には関先生はアドバイザー的に参加されているそうですが、会を立ち上げられた方々の中には、私が高校生の時に日本史の教壇に立たれていた先生の御名前もあって、びっくりしました。かつて考古学を研究された方々もこうやって色々と巡られているのだと思うと、昔をイメージしつつ、回るのって本当に楽しいんだなぁって本を読んでいて思いました(^^)
ま、私も早速、風土記の丘資料館を出て、「支布佐神社」へと行ったのは言うまでもありませんが・・・(笑)
まだまだ紹介出来ていない神社が実は沢山あるので、頑張ってこれからもアップしていきたいと思いますので、今後も気長に待っていてくださいm(__)m
0コメント