鳥取県米子市彦名町にある粟島神社は、少彦名命をお祀りする神社です。
↑ 一の鳥居
↑ 粟島神社周辺の説明板
この粟島神社のある現在の丘陵は、かつては中海に浮かぶ小島だったと伝えられています。
近代になるにつれて地続きになり、現在は丘陵地になっています。
神社の北側には、水鳥公園として多くの野鳥が羽を休める場所になっています。
↑ 神社案内板
少彦名命は大国主命と共に国造りをされた神様です。
一寸法師のモデルとも云われる神様で、蛾で作った衣を纏って、海からやってきた小さな神様だと言われています。
大国主命と共に国造りをどんどん進めて行かれますが、国造りの途中、不意に少彦名命は粟の穂先から弾かれて、常世の国(あの世)へと旅立ってしまわれます。
その、粟の穂があったのが、この粟島神社だと言われています。
↑ 社務所手前に社日柱がありました。
↑ 二の鳥居
石段が結構な急こう配でした(^^;
↑ 石段を登った先に随神門があります。
↑ 拝殿
↑ 御本殿
↑ 本殿裏手にある展望台から望む中海(米子方面)
本来であれば、写真左手に大山が見えるはず・・・ですが、あいにくの天候だった為、残念ながら大山は見えません。
↑ 展望台(安来方面)
写真中央に見える三角錐の山が十神山になります。
この、十神山(ここもかつて島だったところ)から大山の方角への水路は瀬戸内海を彷彿させる景観として、粟島秋月と呼ばれるそうです。
天気が良かったら、もっと良い景色だったと思うとちょっと残念でした(^^;
↑ (上)伊勢神宮(下)出雲大社 遙拝所
↑ 荒神蝮蛇神祠
こちらは古い祠でしょうか。
新しいところもありました。
↑ 荒神宮
丁度、古い荒神蝮蛇神祠の真下に作られています。
↑ 御岩宮祠と静の岩屋の案内板
粟島神社の周辺には、御岩宮祠・・・少彦名命が最初に降り立った場所と伝えられる磐座。
静の岩屋・・・八百比丘尼が隠れ住んでいたと云われる岩屋。
この二つがあります。
参拝時には忘れずにお参りしてみてください。
↑ 5枚 御岩宮祠
↑ 3枚 静の岩屋
八百比丘尼とは・・・
昔、漁師の村で漁師たちが集まって宴会を開いていた。
皆が持ち寄った料理や酒でワイワイとしていたが、その家の漁師が珍しいものがあると言って、何かの肉を持ってきた。
だが皆酔っていたものの、その肉があまりにも不気味で得体のしれない肉だったので、その場では手を付けず、持ち帰ることにした。
家々へ帰る途中に、漁師たちは気味の悪い肉を捨てていったが、一人だけ酔っぱらって捨てずに家に持ち帰って、戸棚へしまって寝てしまった。
その漁師の娘が夜中に腹を空かせて戸棚をあさっていると、葉にに包まれた『あの肉』を見つけた。
こんな御馳走が家にあったと、娘は喜んで食べた。
しかし、『あの肉』を食べたせいか、娘はその後八百年を生きたと云われる。
八百年の月日は長く、娘はどんどん自分の親、兄弟、友人を無くし、ついには誰も知るものが居なくなり、寂しさのあまり、一人岩屋に籠ったと言われています。
八百比丘尼の伝説は福井県にもありますが、『あの肉』とは、人魚の肉だったとも伝えられています。
私の好きな漫画家・手塚治虫氏は『火の鳥』の中で、繰り返す時間の中に閉じ込められた八百比丘尼を描いていますし、もう一人好きな漫画家・高橋留美子氏は『人魚の森』で人魚の肉を食べた者を主人公としたお話を描いておられます。
いずれの作品も、死ねない体を持ったものの苦悩を描いた作品だと思います。
機会があれば、是非一度お読みください(^^)
そして、この粟島神社で八百比丘尼の気持ちに触れてみてはいかがでしょうか(^^)
↑ 静の岩屋の向かいにある水鳥公園
写真では水溜まりか、池のように見えるところは、葦の生えた中海の一部です。
葦原の中つ国を連想させるような、このような湿地帯がかつてはかなりの数が山陰にはあったようです。
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