島根県出雲市大社町杵築東にある出雲大社は、大国主命をお祀りする大社(おおやしろ)です。
↑大鳥居井です。
↑神門通り
↑真ん中は歩いてダメです!神様の通り道なので(^^)
↑拝殿です(^^)
↑本殿です(^^)
雲太(うんた・・・出雲の大社)
和二(わに・・・奈良(大和)東大寺の大仏殿)
京三(きょうさん・・・平安京、平安宮の大極殿)
と言って、かつて出雲大社が、一番大きい建物として紹介されていました。
これは、神話:国譲りのところで描かれていますが、大国主命がこの葦原中国 (あしはらのなかつくに)を平定後、天照大御神が、
「この葦原中国を治めるのは、私の子孫がふさわしい」
と、言って、大国主命に国譲りを迫ります。
二度に渡って、天照大御神の使者を懐柔した大国主命でしたが、三度目に来たタケミカヅチによって、息子である事代主命、タケミナカタを打ち負かされ、ついに大国主命は国を天照大御神の子孫に譲ることを承諾します。
その際、大国主命は高天原にあるような大きなお社を作り、そこで幽世事(かくりよごと)を取り仕切る権利を得ます。
高天原にあるような大きなお社=出雲大社で、かつては48mの高さのあるお社だった、とも言われています。(出雲大社となりにある出雲古代歴史博物館に想像模型があります)
そして、幽世事を取り仕切る=〇〇さんと〇〇さんを結婚させる、〇〇さんと〇〇さんを出合わせる等の、この世のあらゆる縁(えにし)を結びつける事を決める為、日本中から八百万の神様を集め、年に一度、旧暦の十月に会議を出雲大社で行うのです。
このため、島根県では、十月を「神在月」と言い、島根県以外では、「神無月」と言います。
↑正確な理由は不明なようですが、出雲大社本殿に鎮座される大国主命は、西を向いて鎮座されています。
西には、国譲りの舞台となった稲佐の浜があり、
また、遠く日本海を経て九州があります。
天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大神の命を受けて葦原中国を治めるために高天原から日向国の高千穂峰へ天降(あまくだ)ったこと等を併せて考えてみると、個人的には、なんとなく大国主命が西を向いている理由もその辺りにあるような感じがいたします(^^)
出雲大社にお参りされた方は、どんな風にお感じになられるのでしょう(^^)
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