島根県安来市能義町にある能義神社は天穂日命(あめのほひのみこと)をお祀りする神社です。
天穂日命は、天照大御神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際に生まれた神様です。
※誓約については↓↓↓↓↓から
この能義神社にご神職として仕えておられた方に、野見宿祢(のみのすくね)と言う方がおられます。
野見宿祢は、出雲国造の子孫で出雲大社の宮司と出自を同じく天穂日命とする方です。
この野見宿祢、とても力が強く有名でした。
垂仁天皇(第11代天皇)に呼ばれ、天皇の前で当麻蹴速(たいまのけはや)と力比べ(相撲)を行い、見事勝利します。
これがきっかけとなり、野見宿祢は天皇の御側仕えとなります。
野見宿祢は天皇に仕えると、当時古墳をつくる度、埋葬者に従事していたものも一緒に埋葬する殉死の習慣があったが、それを止めさせ埴輪を埋葬するようにしました。
野見宿祢は、これらのことから相撲の神、埴輪をつくる土師氏の祖として信仰されました。
野見宿祢は晩年、最後は出雲で過ごそうと出雲に向かいますが、途中で病に倒れてしまいます。
知らせを聞いた出雲の人々が亡くなった野見宿祢の元へ駆けつけ、遺骨を分骨して持ち帰り、島根県松江市宍道町上来待にある菅原天満宮のところにある古墳へと埋葬したと伝えられています。
↑2枚は菅原天満宮の写真です(後日また紹介します)
菅原天満宮は↓↓↓↓↓こちらから
野見宿祢の古墳に菅原天満宮が建てられたと思われます。
その理由は、野見宿祢は菅原道真の祖先だと言われています。
菅原道真は京の都で大成し、失脚。最後は九州・大宰府へ送られますが、先祖の野見宿祢のお墓へお参りした伝承も残っているようです(^^)
↑能義神社・本殿後ろ側
↑龍の立派な彫り物です(^^)
↑参道の横手にある稲荷社
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